1月の終わりに、
京の冬の旅「東福寺・即宗院」特別公開に行ってまいりました。
美しいV字の通路。
即宗院は島津氏久の菩提の為に建てられたお寺であり、
かつて篤姫が江戸へお輿入れされる時にもこちらに立ち寄られたとか。
なので中では、島津家家紋入りの火鉢や重箱の展示や、
西郷隆盛直筆の掛軸なども公開されていました。
かつて東福寺にあった大仏様の台座の蓮弁のひとつも展示されていました。
東福寺の大仏様は火災にあい、左手だけ残っているそうで、
それは涅槃会の時に御開帳になるというお話でした。
このお庭は「月輪殿」といい、
かつてここには東福寺を造営した九條道家の祖父にあたる関白・藤原兼実の山荘が
あったということです。
その美しさは知恩院に保存されている「法然上人絵伝」にも描かれ、
このお庭の橋を渡る法然上人に後光が差している様子が描かれているそうです。
また「都林泉図絵」という江戸時代の名所案内にも
この庭園が案内されていたそうで、この手水鉢のことも載っていたそう。
お庭は太平洋戦争の頃は荒廃していましたが、
その後1970年代になって修復されました。
万両や
千両が彩りを添えるように、たくさん植えられています。
なぜか、闘牛っぽい牛さん…。
鈴なりな千両。
こちらは万両。
即宗院の奥には西郷隆盛と月照上人がひそかに倒幕計画を練ったという
茶室「採薪亭」跡地があります。
幕末の歴史の名残がこんなところに。
(以前、大河ドラマ「篤姫」で、この密議のシーンがあったような覚えが…)
その茶室跡地の横の道をのぼって行くと、
羅漢さまがいらっしゃいました。
虎と仲良し?の羅漢様。
なんだか凛々しい眼鏡の羅漢様。
山肌にいろんな羅漢様。
膝立羅漢様。
赤ん坊を抱く羅漢様。
お酒飲む羅漢様。
この羅漢様は何をしてらっしゃるところでしょうか?
臥せ羅漢様。
さらにその奥へのぼって行くと、
即宗院の奥の山手には倒幕後に西郷隆盛が維新での戦死者を弔うため、
「東征戦亡の碑」が建っています。
碑には、戦没者524名の名前が刻まれています。
中に、西郷隆盛の弟「西郷吉次郎隆廣」のお名前も。
戊辰戦争でおった傷がもとで、お亡くなりになったそうです。
西郷隆盛の揮毫による「東征戦亡の碑」
羅漢道を降りてきた角にあった道しるべ。
ここから西国街道を経て、薩摩へと道は続いていくのでしょう。
帰る頃には閉門時間。^-^;
門の左右には、宝暦7年位薩摩藩から寄進された仁王様が安置されています。
仁王様が向かい合わせに安置されているのは、珍しいそうです。
即宗院のそばにある東福寺塔頭の第一位「龍吟庵」。
龍吟庵の階段からのぞむ「偃月橋(えんげつきょう)」
即宗院はこの左手にあります。
「偃月橋」は、桃山時代の木造廊橋で重要文化財に指定されています。
橋からの眺め。
紅葉のシーズンはさぞ美しいことでしょう。
<即宗院の御朱印>
「丸に十字」 島津家の家紋入りですね。
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